今日の松音日記

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アイマスから足を洗った

◯はじめに

アイドルマスター」というコンテンツから足を洗った。

 

もっと正確に表現すると、「周到な準備の下、段階を踏んでアイドルマスターというコンテンツから距離を置くことに成功した」ということになる。

 

引退と表現すると、完全に断ち切れたわけではないので「足を洗う」とここでは表現することにする。

 

アイマスは宗教だ。そして麻薬であり呪いだ。

 

年間数億の売上を叩き出し、オタクの世界を暴れまわるモンスターコンテンツの足の裏にはアイマスという名の宗教に傾倒した呪われし薬物依存者「プロデューサー」が蠢いている。

 

アイマスというコンテンツから距離を置くことができた記念と意思表示に、このエントリーを書いた。

 

 

◯僕はプロデューサーだった。

 

かつて僕はそんなプロデューサーと呼ばれる呪われし敬虔な薬物依存者だった。

自分が担当するアイドルへの愛を語り、ライブには可能な限り足を運び、ソーシャルゲームには何年もログインし続けた。

PS3のソフトを遊ぶためにテレビを買い替え、フィギュアを飾るために棚を買った。担当の誕生日には己の信心を誇示するがごとく何かしらの催し物を行った。

iPodに入れているアーティストの10%以上がアイマス関連になったときにはある種の達成感すら覚えた。

ガチャを回すために毎月数十万課金するようなことはしなかったが、それでもイベントや楽曲、ライブの円盤だけでもかなりの金額を使ったと思う。

 

そんな立派なプロデューサーの1人だった僕が違和感を覚えたのは「城ヶ崎美嘉」というキャラの一連の騒動だった。

 

 

アイマスに恐怖を感じた。

 

城ヶ崎美嘉はピンクの髪をしたカリスマギャルで、アイドルの中では珍しい姉妹アイドルのしっかりものの姉だ。

その城ヶ崎美嘉がアニメ「アイドルマスターシンデレラガールズ」で「赤城みりあ」という小学生に抱きしめられて泣くというシーンがあった。

元々僕が与り知らない所でそう思われていたのかどうかは知らないが、そのシーンから城ヶ崎美嘉には「幼女(特に赤城みりあ)が大好き」という二次創作の設定が付与された気がする。

個人的にはカリスマギャルという彼女のキャラクターにそういった良い意味での弱さが付与され、キャラクターがより深く掘り下げられたものと比較的好意的な認識をしていた。

 

ある日、事件は起こった。城ヶ崎美嘉の声優(名前忘れた)が、イベントだかSNS上だかで、その二次設定について「あまり良く思っていない」的な言及をしたのだ。

当然彼女は「そういうのをやめてほしい」という直接的表現ではなく、「個人的にはあまり好きではない」というやんわりとした表現を行った。

だが、その発言を行った途端、ネット上から「城ヶ崎美嘉=幼女好き」という設定のイラストは消滅し、過去にそういった趣旨の絵を描いたことを謝罪する絵師まで現れた。

 

声優の一言がキャラクターの二次創作上の設定を消滅させたのだ。

 

この一連の流れを端から見ていた僕は「狂ってる」と感じた。恐怖すら覚えた。

 

それがきっかけだった。僕の中にある俯瞰的な自分が力を持った。ライブで毎回最初に行われる協賛企業名を合唱する行為を訝しげに見ていた自分が力を持った。

今まで見えていなかった。気づかなかった。見て見ぬ振りをしていた。曲解していた。アイマスに対して妄信的だった自分を、「プロデューサー」と呼ばれる自分達を俯瞰して見れるようになってきた。

 

「こんな風にはなりたくない。離れなければ」

 

僕にアイマス撤退願望が芽生えた。

 

アイマスは宗教

 

この世界ではアイマスというコンテンツは神だ。

宗教の世界で、神に捧げ物を贈ることは美徳とされている。

神の下僕である教会や寺院に金を貢ぐことは美徳とされている。

アイマスは宗教なので課金は美徳である。

何万円課金したかを誇らしげに語り、1日1回60円で回せるガチャを「税金」と呼んでいる。

運営に何かしらの不手際があった際に「詫び課金」と言って課金を行う者もいた。その行為を咎めると彼等は異教徒を見るかのように石を投げた。

正直意味がわからなかった。まだ「雨が降ったから課金した」の方が運営側に落ち度が無い分理解できた(それでも意味不明だが)。

 

コンテンツにお金を落とすのは決して悪ではない。好きなものにお金を払うのは悪ではない。それは価値あるものに対価を払う経済的に正しい行いだ。これは商売だ。これは投資だ。

だが僕が持つ常識をもってして敬虔なプロデューサーの課金を見るに、それは投資の域を逸脱していた。完全に妄信的信者が教会に貢ぐそれだった。

 

話題が逸れたが、アイマスというコンテンツは神なのだ。

その神に声という重要な要素をもたらす声優はいわば神の使いだ。

そんな神の使い「声優」が発言をしようものなら、それは絶対的なものに他ならない。

 

声優が食事をSNSにアップすれば、それと同じものを食すのは非常に高尚な宗教的行為だろう。

声優がとある球団を支持すれば、その声優が担当するアイドルのPはその球団のファンになるだろう。

声優がライブの楽しみ方を指し示せばそれが絶対的なローカルルールとなるだろう。

声優が「カラスは白い」と言えばカラスをペンキで白く塗るプロデューサーが現れるだろう。

 

それほどにプロデューサーにとって神の使い「声優」の発言は絶対的なものなのだ。

きっとSNSで発言する声優には全員「そういった先導的な発言は極力控えるように」と事務所からきつく命令されているだろう。上の人間はその力を理解しているのだ。子羊を都合よく導く塩梅を把握しているのだ。

 

数年後、声優が政治家として名乗りを上げ、一定数の票を集めるのもおとぎ話では無い。

アイマスというコンテンツを絶対的な神とし、声優の発言を全て神託と捉え絶対的に肯定する。

アイマスは宗教なのだ。プロデューサーは声優が「死ね」と言えば死ねるのだ。声優が「松音を殺せ」と発言すれば僕の命を狙うものも現れるだろう。きっと。

 

盲信が人間性の健全なる指針となったケースは歴史的にも稀だ。

物事の価値観を声優に委ね、呆然とコンテンツに流されるなんてことは絶対にあってはならない。

 

 

アイマスは麻薬だ。

 

僕は熱心なプロデューサーであったが、1つだけ異端な点があった。

それは「声優にさほど興味を示さなかった」ことだ。

僕が娘のように愛していたのは二次元のアイドルである「萩原雪歩」であり、「伴田路子」であり、「赤城みりあ」であって、中の声優ではなかった。

浅倉杏美にも中村温姫にも黒沢ともよにもさして興味は無かった。

 

この声優に対する信仰心の無さが足を洗うきっかけになったのだが、一方で僕は重度のアイマスサウンド中毒者だったのだ。

 

僕は元バンドマンだ。幼少時より音楽を愛し、父親の持つ洋楽のCDを聴き漁り、SNSYouTubeがさほど発展していない頃からMTVのHPでアーティストのPVにかじり付き、少しでも興味があるアーティストのCDはとりあえず聴いた。おかげで人よりも音楽ジャンルにおいてはかなり広めの守備範囲を持っていると自覚している。

 

そんな僕がアイマスサウンドにどっぷり浸かってしまった。

僕がメインで聴いていたのは、本家アイドルマスターと、その流れをくむ妹分的存在の「アイドルマスターミリオンライブ」だった。

 

アイマスから提供される楽曲は、お世辞にも全ての楽曲のクオリティーが高いとは言えなかった。当たり前の話だが、音楽で飯を食ってるバンドやアーティストのサウンドには当然ながらありとあらゆる面で劣り、同じアイドルというジャンルのAKB48やその他3次元のアイドルサウンドと比べてもクオリティーは一歩退くものだった。

 

特にアイドルマスターミリオンライブの初期の曲ははっきりいってクソ曲のオンパレードだった。まだ成功するかわからない妹分コンテンツで、30人以上のアイドルのソロ曲を同時に作ったのだから予算は少ない。そのクオリティーはお察しである。

 

だが「30人以上のアイドルのソロ曲を一気に出した」コンテンツは恐らくアイドルマスターミリオンライブだけだ。それが僕の琴線に触れた。

一曲一曲のクオリティーは低くとも、個性豊かな30人のアイドルを表現した様々なジャンルをまんべんなく詰め込んだ低クオリティーなアルバムは無駄にジャンル的守備範囲が広い僕に“ウケ”た。

クソ曲の海から、僅かな良曲を探そうと深く潜ろうとしてしまったのだ。

 

元々765の楽曲は集めていたのだが、シンデレラガールズを含めた妹分の登場でアイマスサウンドは爆発的に増えた。その加速に着いていこうとしてしまったのだ。

アイマスのライブ界隈でまだ知名度の低いミリオンライブの楽曲を真っ先に把握し、一気にライブ会場のコールの圧が弱まる中で凛として覚えた歌詞を歌うことに快感を覚えてしまったのだ。

 

楽曲のクオリティーの低さという視聴続行基準を取っ払い、低クオリティーなアイマスサウンド無しにはいられない体になってしまったのだ。

薬を求めるように無限に排出されるアイマスサウンドのCDを求め、入手困難な限定品CDを手に入れるためにオークションを徘徊した。

気づけば一万曲をゆうに超えるiPodのライブラリーの15%以上はアイマスサウンドが占めていた。

 

アイマスサウンド以外の音楽も集めてはいたのだが、時間と金は有限だ。アイマスサウンド以外の音楽へのアンテナは弱まり、それがアイマスサウンドという麻薬から抜け出せないスパイラルを作り出していた。

 

 

アイマスは呪い。

 

城ヶ崎美嘉の騒動で、「このままではいけない」と自覚した僕だが、熱心な信者ではなくなったにしろ重度の薬物依存者であることには変わりなかった。

やめますと言ってすぐにやめられるようなら苦労はしない。

いくら声優を崇める信者を怪訝な表情で見送り、無限に生産されるCDの収集をやめれたとしても、まだソーシャルゲームのログイン習慣が残っていた。

 

ログインの習慣をやめるのなんて簡単と思いきや、これが実のところ難しい。

アイマスが麻薬と違う点、それは僕がアイマスを嫌っているわけではないということだ。

ソーシャルゲームの中で自分に甘えてくるアイドルを愛していたし、グリーのブラウザゲーから数えて実に3年近く毎日行っていたルーチンワークを苦痛と感じていなかったで、それを意識的にやめるのは至難の業だった。

ましてやSNS上でアイマスコンテンツを愛する他の人との関係を切るなんて論外だし、流れてくる可愛いイラストを避けるなんて土台無理であった。 

 

これは最早依存という類のものではなく、自分にとって習慣化されたある種の「呪い」だった。

 

 

アイマスをやめる準備をした。

 

アイマスをやめるにはどうすればいいか」を考えた。

アイマスに対する熱意が多少冷めようが、アイマスのライブはどんなジャンルのライブよりも楽しいと足を洗った今でも思っているし、アイマスのアイドル達は現実のアイドルと違い不祥事を絶対に起こさずみんな仲良しで天使のように可愛い。

朝起きてアイドルにおはようと言われ、プロデュースという仕事をするのは悪い気はしない。

基本的にゲームそのものには課金していなかったので爆死してショックで引退するということも起きない。

二次元のアイドルが好きなんて世間の心証は悪いに決まっているだろうが、今まで付き合ってきた彼女は軒並みそこらへんの趣味には寛容だったため、彼女のために引退しようということにもならない。

タイムラインに流れてくる二次創作はどれも愛らしく楽しいものばかりだ。嫌うことなど出来ない。 

 

現状について悪いと思いつつも、明確な一歩を踏み出せないまま時間だけが経過していた。

 

転機が訪れたのは、GREEの「アイドルマスターミリオンライブ」サービス終了(正確にはコンテンツ更新終了)のニュースだった。

同僚のプロデューサーの愚痴や阿鼻叫喚が垂れ流される中、「今しか無い」と覚悟を決めた。完全に断つことは不可能にしろ、周到に段階を踏めば可能な限り距離を置くことは出来るはずだ。

 

スケジュールを作った。

 

まずサービスが終了する「アイドルマスターミリオンライブ」のログインをやめた。

これは上手く行った。習慣とはいえログインし続けることに意味が無くなったからだ。

 

次にSNSのアイコンを変えた。端から見ると大した事ないが、僕は少なくとも8年以上愛する萩原雪歩のアイコンを貫いてきたので、それをアイマス以外に変えるという事は自分の中では相当強い覚悟だった。簡単に揺らがないように、数時間かけてPhotoshopをいじくって正月にアイコンを変えられるよう準備した。

 

次に年明けに行われる765の初代メンバーが行うライブイベントへの不参加を決めた。

これが一番つらかった。本当に行きたかった。今でも最高と信じているアイマスのライブの中で、一番大好きな初代メンバーのライブだ。正直歳がアレなので、次があるかわからない。ライブビューイングでもいいので参加する気満々で、当日使うためのサイリウムウルトラオレンジ」を何ヶ月も前から準備していた。

正直誰かに誘われたら心が揺らいでいたが、幸か不幸か誰からも誘われなかったのでクローズの流れに持っていくことが出来た。

※誰か自宅にあるウルトラオレンジを引き取って欲しい。

 

ライブへの不参加を決めた後は音楽を聴く習慣を減らした。

音楽そのものを聴かなくなるのは良くないので一時的なものだが、音楽を聴く代わりにWEBラジオをiPodに取り込んで聴くようにした。これは前々から考えていたものを本格的に実行に移したものだ。

 

クローズの流れに乗ってきたところで最後の砦、「アイドルマスターミリオンライブシアターデイズ」通称ミリシタのルーチンワークを断った。

これは最早勢いだった。朝無意識にログインしようとする手を気合で止めた。イベントへの参加を気合でブッチした。デイリーミッションを気合で無視した。

 

ミリシタへのログインの誘惑を経って約2週間が経過し、ようやくデイリーミッションを行わないことに対する罪悪感も薄れてきた。

 

そうして僕はアイマスから足を洗うことに成功した。

 

アイマスから足を洗う覚悟を決めて3ヶ月。好きなものから距離を置くがこんなにも難しいものだとは思わなかった。

 仮にアイマスのソシャゲに数十万課金していたらこの時にどんな虚無感が襲い掛かってくるのか、考えるだけで恐ろしいが。その点に関しては結果オーライだ。

 

ちなみに今でも僕はアイドルマスターというコンテンツを愛しているし、やめるきっかけとなった一部の信者の行動には疑問を感じながらも、愛をもってコンテンツに触れている人達にはこれからも楽しんで欲しいと思っている。あくまでこれは僕が「このままではいけない」と判断し、実行に移したまでの話だ。

 

もし、ふとしたきっかけでアイマスから足を洗おうとして、それでも抜け出せないのなら、僕の行動を思い出してみてはいかがだろうか。

完全に断つことは無理にしろ、俯瞰的に考えて距離を置くことで少なくとも信者からファン程度にランクを下げることは出来るはずだ。 

 

 

 

 

 

 

まぁ本棚にはまだ雪歩のフィギュアがあるんだけどな!!!!

 

どうしよ・・・