今日の松音日記

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ウェルビーイングに至るの話

ニーチェの言葉に「合理性ばかり追求して心の余裕をなくし、人間らしい事柄をも無駄だと見なしていると、結局は人生そのものを台無しにする。」というものがある。

 

人は成長することが得意なプログレッシブな生物だ。

失敗を反省し、原因を特定し、改善を行い、次をより良いものにする。

 

別に企業におけるPDCAサイクルの話をしているわけではない。

もっとプリミティブな所に物事のイデアは存在する。神は細部に宿るのだ。

 

そうだ。これは食べ放題バイキングの話だ。

 

幼少時、デザートバイキングの前にしこたまカレーや唐揚げを食べてしまい、本来最も幸福感が高いであろう無限のスイーツの前に腹を満杯にしてしまった経験は皆にもあるだろう。

 

そしてその失敗を反省し、米は最小限に、炭酸水は飲まず、同じおかずは選ばず、最高効率で無限のケーキにたどり着けるようになる。これが成長である。この積み重ねが人々に核エネルギーをもたらしたと言っても過言ではない。

 

だがここで最初のニーチェの言葉に戻る。

 

それは新なる幸せなのか?それは本当に幸せなのか?

 

一流の食事に慣れ低俗な食事を受け付けないグルメな人間と、選り好みせず何でも美味いと言うバカ舌な人間、一体どちらが食事というカテゴリにおいて幸福(ウェルビーイング)なのか?

 

僕は後者だと思う。

 

全ての感情を幸福感のベクトルで表記するならば前者はその閾値を上げていることに酔っているに過ぎない。ウェルビーイングは必ずしも味覚を研ぎ澄ます事にはならない。

 

つまりだ、最高効率で食べ放題バイキングを支配することは新なる幸せ、心のゆとり、ウェルビーイングではない。

 

もっと心にゆとりを持ちたい。

 

ケーキバイキングで全種類コンプすることも目的とせず、プチシューだけを連打して満足したい。なんの後ろめたさも無く、後悔の念に苛まれず、気持ちは羽のように軽やかでありたい。

 

そうなれた時、食べ放題バイキングでカレーをおかわりする手に迷いは無く、揚げ物をコンプリート出来なかったことを些細なことと認識できる。

 

釈迦が至ろうとした精神とはこれなんじゃないだろうか。

 

カレー、おかわりしよう。