今日の松音日記

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『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』についてのつぶやき

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を観た。
 
自分が7歳の頃に始まったロボットアニメが26年の時を経て完結した。
 
この作品の完結作品である当作品について、ネットミームや他者の意見に汚染される前に自分の頭で作品を理解して、自分の言葉で作品の感想を書きたかった。
僕には深い考察は出来ないから、設定考察を求めているのならここにはそういうのは無い。
 
これを書いているのは3月9日。公開2日目。首都圏での上映時間ラストが17時スタートであるため、仕事終わりに初日に観る事は叶わなかった。
 
僕は「Twitterとは自分の呟きたいことを呟く場所で、他者への配慮は身内以外にする必要など無い。ネタバレは身内にやめてと言われない限り自分の思った感想を即言う」というスタンスを取っている。ネタバレを気にするくせに最速でコンテンツを食わない奴が悪い。
 
そんな僕がTwitterではなくブログで感想を書くのは「僕の視界に一切の作品情報を与えずにいてくれた初日鑑賞勢への感謝」だ。彼らへのリスペクトただ一点のために発言の場をブログに移す。スジは通す。
初日だけで既にトイレネタに汚染されつつあったが、まぁそこは作品の内容とは無関係だったので良しとしよう。
実際僕も事前に周到にトイレに行って飲み物にも気を配り万全の体制で挑んだ上で若干尿意と戦っていたし。
 
ということで本来Twitterでダラダラつぶやこうとしたことをここで書く。
 
ちなみに僕はアニメ版、旧劇場版、貞本義行版コミカライズ、新劇場版を履修していて他のスピンオフやらパチンコやらは一切手を付けていない。スパロボもね。
 
>超絶雑な感想
・シンジがゆっくりと、だけども自分の意思で立ち上がる話。
・僕は『最終兵器彼女』がオールタイム・ベスト・コミックの1つなので、この作品も大好きだよ。伝われ。
・旧作品、貞本版を履修していたことは無駄じゃなかった。
・終わってよかったね。
 
>前作、Qについて
ネットで散々「説明不足」と叩かれた前作のQだが、僕はQ肯定派である。エヴァが社会現象になった理由は様々で、惹かれる理由も人それぞれ。エヴァが始まった当時僕は7歳、複雑な人間ドラマやストーリーなどわかるわけがない。マトリエル戦でシンジがアスカに蹴られたのはパンツが見えそうだったからというのが辛うじてわかる程度だ。それでも欠かさず夕方に観ていた。エヴァンゲリオンというロボットがかっこよかったからだ。
僕がエヴァンゲリオンという作品に一番に求めているのは「スタイリッシュさ」である。エヴァに関わる全てのデザインが非常にスタイリッシュで、未だに最高峰だと思っている。自分にとって作品のスタイリッシュさの重点は非常に重く、虚淵脚本のSFやアニゴジの評価が低いのはそういった点で明らかに自分の好みではないからだ。悪い意味でメカがダサい。
で、Qのスタイリッシュさは序・破を明確に凌いでいた。冒頭の宇宙空間の戦闘、希望の船ヴンダー、世界設定全てが至高のレベルまで研ぎ澄まされた上質なデザインをしていた。確かに説明不足感はあったが、シンでそれらの汚名は返上されたと思っている。世間がどんだけQを叩こうが僕はQに満足していたし知ったことではなかった。
 
>シンについて
ちゃんと終わった。Qで何度目だよって感じで心を折られたシンジが自分の足で立ち上がった。全てと向き合い全てを救った。Qで絶望感という名のバネがキリキリと軋むほどシンで強く跳ね上がれた。それで良いんだよ。
 
>冒頭の戦闘について
これはもう1年以上前から公開されていたし、何なら30回くらい観ているのだがそれでも劇場で観た時は感極まって涙ぐんでしまった。ちなみに30回くらい観てるのに最後のジェットアローンについては2号機のフィギュアが出て考察記事読むまで全く気付かなかった。ジェットアローンの存在完全に忘れてたわ。最後の最後で2号機が八割ジェットアローンになるなんて誰が予想できるんだよ。
 
>そっくりさんについて
・今作の最重要人物(当社比)
・Qで出てきた綾波っぽい人。この作品はこのそっくりさんに様々な感情を植え付ける事から始まるし、そこに多くの尺を割いている。無印&新劇場版の綾波と違い、このそっくりさんに感情を植え付けるのはシンジではなく第三村の人達、主におばちゃんと委員長。ここが綾波との一番の違いである。人との繋がりの重要さを伝えるためにはシンジだけじゃ足りなかったのだ。命を覚えること、言葉を覚えること、会話を覚えること、土の柔らかさを覚えること、お湯の暖かさを覚えること、それらはシンジでは伝えられなかった。そうして暖かさを覚えたそっくりさんが、抜け殻になったシンジを再び立ち上がらせる。この作品で多分一番重要なシークエンスだと思う。
・千葉県を襲った台風でライフラインが死んだ時に自衛隊の風呂に入ったんだけど、綾波がみんなとお風呂に入るシーンでそれを思い出して「そうそうこんな感じの風呂!!」ってテンション上がった。
 
 
>シンジについて
Qで散々ボッコボコにされていつもの体育座りになったシンジ、アスカに無理やり引っ張られても今回は効果薄(無くは無いと思う)。メインとしては上述のそっくりさんによって復活する。これまで何度も倒れてはなんだかんだ立ち上がってきたシンジ君、今回はかなり長い時間をかけてゆっくり立ち上がる。だがその立ち上がり方は過去のやけくそ気味だったり無理やりだったり切羽詰まってたりする立ち上がり方ではなく、真に自分の答えを見つけて立ち上がる。結果的に言えばそっくりさんの命の犠牲(?)のもと立ち上がるわけだが、多分そっくりさんが死ななくてもシンジは立ち上がれた。シンジが立ち上がれたのはそっくりさんの死によってではないのはわかる。
これまで周りに散々引きずり回されたシンジは最後の最後に自分の意思で周りを導いていく。
 
>アスカについて
・アスカも綾波同様大量生産されたパイロットだったことが判明する。そこは旧版&貞本版と違うわけだが、アスカの生い立ちについてこれまで新劇場版では何も語られていなかったしそこは勝手に読み手が解釈していただけだからね。仕方ないね。そのぬいぐるみスーツに仕込んでたの?
・旧版では散々メンタル面をボッコボコにされ、コンプレックスに押しつぶされたアスカ、序破Qではそこらへんの要素は薄く、マリとともにヴィレの戦闘要員として作品のアクション部分を彩ってくれた。
メンタル面へのダメージが薄いかわりにクロコダインばりに物理的にボッコボコにされる事が多くなったよね。それはそれでいいんだけど。
・破の綾波みたく取り込まれてしまうっていうダブルヒロインの対比的なシーンが印象的。
・旧劇場版と同じシンジと二人っきりの世界で、今度はシンジに起こされるのが良い。シンジの尻をひっぱたき続けたアスカが最後はシンジに救われる。ってかケンスケの家でずっと素っ裸でいた時はそうでもなかったのに最後だけやたらムチムチしてたのは作画担当の問題かな。試作品スーツと比べ物にならないくらいエロかったよね。
 
ミサトさんについて
・当作品では父親としてうまくやれなかったゲンドウとの対比として、母親としてうまくやれなかったミサトさんの存在が描かれる。別に二人の行動の差がストーリーの大きな分岐点になるわけではないが、不器用な大人がゲンドウだけじゃゲンドウがただのマダオだったって解釈してしまうかもしれないから丁度いいね。でもこれだけは言わせて。息子に父親の名前つけんなよ!!!!!そんなこと他にするのドラゴンボールの悟空くらいだぞ!!!!あとお前いつ加持さんとエッチしたんだよ!!そこらへんの時系列整理は考察班に任せるけど!!!
・シンではちゃんとかっこいいミサトさんが見れてよかった。
 
赤木リツコについて
ガッシュのアンサートーカー持ってるのか?ってくらいに正解を導き続け、縁の下の力持ち枠である博士だけど、それよりも出合い頭に躊躇なくゲンドウを撃ったのマジで感動した。銃を突きつけて会話する作品にうんざりしている勢はおそらく大勢いたはずなので、「流石博士!みんなに出来ないことを平然とやってのける!そこにシビれるあこがれるゥ!」ってなった人は多いハズ。もしかして前世での母親含めたゲンドウとの色恋沙汰覚えてたりする?
・あと生き残ってこれから加持リョウジのところに行って慣れない母親役をやるんだなぁと思うと良さ味が溢れてくるな!!
・これまでのアカギ博士で一番味がある。
 
>冬月について
最後までゲンドウの計画に付き合った動機がよくわかってなくて、ハリーポッターにおけるスネイプばりに実は碇ユイのことが好きで、ゲンドウの死者蘇生で碇ユイが復活するなら協力するかってなってたのかな?ってくらいしか思いつかなかった。
 
・やはりもう一度嫁に会いたかったってのが保管計画の理由なんだけど、ゲンドウの計画についてミサトさんとリツコ博士の読みが外れたのはなんでなんだぜ?いや、そもそも二人が考えていた人類補完計画と、ゲンドウの嫁復活作戦とで何が違うのか自体を僕が理解出来てないんだけど。
・行動原理がシンプルかつ大スケールなのが一番良いよね。
 
>真希波マリについて
・いろいろズルいし、若干掘り下げが足りなくも感じる。
・ただアクション担当をアスカに丸投げするのは無理があるので、一人くらい闇に飲まれない元気なパイロットが必要だよね。
・マリがゲンドウやユイの同期なのは貞本版エヴァでしか描かれてなくて謎だったけど、そこの設定はどうやら同じなようだ。多分計画当初から関わっているから、「僕が一番、ガンダムをうまく使えるんだ」が使える。
・最後のシーンでシンジと宇部新川駅を出るのが綾波でもアスカでもなくマリなのをどう捉えるか、自分には答えが出せない。
 
綾波について
正直綾波はそこまで好みではなかったけどロン毛綾波は正直クッソかわいいと思った(ロングヘア至上主義者)
 
>トウジとケンスケについて
シンジを最後まで信じてほっといたのは、やっぱ男友達って感じがしてよかった。ってか生きてて良かった。特別な人間だけが生き残っていたわけじゃないってのがわかってよかった。
 
>北上ミドリについて
彼女の立ち位置は、Qでは一般人からヴィレに引き抜かれた今どきの若者だったが、今回は感情移入する読み手のツッコミも兼ねている気がする。そういう立場だったらツッコミもするよなぁって感じで観ていた。まぁそこらへんのメタ的な爽快感は全て赤木リツコ博士のウルトラCによって持っていかれたわけだが。
 
>鈴原サクラについて
安易な萌アニメとかが好きな逆張り根暗オタクが「このキャラ好き」とか言いそう。
 
>初号機VS13号機、最後の戦闘シーンについて
やたらチープな3D戦闘シーンをどう評価するか。好意的解釈が出来なくもないが、個人的には予算は潤沢にあるんだからその年のベスト戦闘シーンになったくらい作画の暴力を観せて欲しかったなぁとは思う。特撮感あったしシンウルトラマン早く撮りたかったんかな。
序でやってた白くぼかして作画の粗を消すやつをやらなくなったから3D描写がしょぼく見えるんかなぁ。
 
>ヴンダーについて
・今回もクッソかっこいいぞヴンダー
・ヴンダーって初号機のコア使ってるんだよね?初号機に乗るっつっててっきりヴンダーから初号機が生えてくるかとおもったら違ったんだけどどゆこと?何で13号機から初号機生えてきたの??
 
>第三村
ここらへんの災害後に生き残りが寄り添って生きてるシーン、『最終兵器彼女』でシュウジがちせと別れた(?)あとらへんのシーンが重なって胸が締め付けられたんだけど誰かわかる!?!?!?!?!?
 
>作品に出てくる電車に関わるシーンについて
人との繋がりを表現したいのだとか考察はいくらでもしようがあるが、単に監督が電車好きだからでしょう。そこらへんの答えを知るために、僕は後で庵野秀明監督の『式日』を観るよ。
 
 
>余談
EDで序のテーマソングのリメイクである『Beautiful World (Da Capo Version)』が流れるわけだが、この演出で実写版『ヲタクに恋は難しい』のEDの醜悪さがより際立つ。他作品を貶めて作品を持ち上げているわけじゃない。エヴァの余韻に100%浸りたかったのにヲタ恋の劣悪で醜悪で卑陋で醜怪で最悪なEDを思い出してしまったのがムカついただけ。