近似非現実エンタメは楽しい
マジョリティの話をするだけだから意図せず気を悪くさせてしまったフォロワーがいたらマジでごめん。
人は首の皮一枚現実が繋がっている非現実的なものを絶対に安全な所から眺めることに快楽を見出している。
ifの世界にコンマ数%の可能性でありえたかもしれない現実。限りなくファンタジー。「近似非現実エンタメ」である。
「自分は絶対に安全であること」がミソで古来は奴隷同士の殺し合い、現代では著名人の不祥事炎上祭りが当てはまる。
ラインを見誤って金持ちが奴隷に殺されたり、SNSで石を投げて人生終わるほどの金を毟り取られるバカが毎日後を絶たないところが非現実“ではない”証左である。道を踏み外せば死ににいけるエンタメだ。
現実と首の皮一枚繋がっていることから感情移入がしやすいところも特徴だ。
今日もうだつの上がらない自分とは違う誰かが異世界で輝くファンタジー作品にifの自分を重ね売上を伸ばし、遥か彼方の宇宙を駈けるコテコテのSFがコストの高さも相まって衰退していく。悲しいがこれが時流である。
多分最新技術で絶対に安全が保証された状態で、命を奪える鉛の弾が頬を掠めるアミューズメントができたら事故って死人が出るまで金を稼いでくれると思う。あ、これVRじゃん。
で、近似非現実エンタメの鉄板ネタの一つが「毒親」である。
様々な理由で親としてお世辞にも一人前とは言えない存在、毒親の下で育った登場人物、毒親からの仕打ち、毒親が毒親になった背景、マイナスからの成長などなど登場人物の魅力を引き出すマイナスの魅力を持った非常に強力な属性である。
ヴィランの性質を持ちながら家族という親密性を兼ね備えたこの要素は数多くの名作に取り込まれてきた。
人はどうして毒親に惹かれるのか、毒親には前述の「近似非現実性」が有名店が作る小籠包の肉汁ばりに詰まっている。
日本人のほとんどには親がいるので親の存在をイメージできない者はごくごく少数だ。
そして日本の治安の良さは世界トップクラスである。
これをフェルミ推定と呼んだら鼻で笑われるが、治安の良さ≒毒親の少なさと言っても差し支えないだろう。つまり日本国民でリアル毒親に遭遇した子供の比率は現実には非常に少ない。毒親は実質ファンタジーだ。ファンタジーでありながら大半の人は親がどういうものか把握しているので、現実の真逆をいく毒親を高解像度でイメージできる。
そして世界の艱難辛苦を無限に羅列することを生業とするマスコミが現実に確かに存在する毒親を探し出し、下手くそな大学生ギタリストのアンプのように無駄に増幅して世間の目に晒すのだ。
ネッシーもサスカッチも実在するかどうか怪しいが毒親は確かに存在する。あまりにも境界線が近すぎるファンタジー。こんな濃厚な近似非現実エンタメそうそう無い。
そうやって腕利きの創作者が生み出した毒親が創作物にリアリティを与え、読者にドキドキとハラハラを与える。「もしかしたら実体験なのかもしれない」という感情が好奇心や憐憫さを湧き立て、「立派に育ててくれた自分の親とは違うifの世界」として絶対に安全な強化ガラスの向こう側でアイスを舐めながら間抜け面で感情移入し、平凡に育つことができた現実と両親に感謝する。楽しくないわけがない。
近似非現実エンタメの中でも今現在の自分が恵まれていればいるほどに感情移入しエキサイティングできる「毒親」は、最高の近似非現実エンタメの一つ足り得るのだ。我ながらマジで不謹慎だな。
『おやすみプンプン』
『タコピーの原罪』
『君に愛されて痛かった』
『このゴミをなんとよぶ』etc.
自分が好きな作品を思い返して分析してたら共通点が毒親だったのでこの結論に達した。多分そういう作品が好きだと思うから他におすすめあったら教えて。